通院日の日記を書いていたらいつの間にか主治医の話になり、境界性パーソナリティ障害(ボーダーライン)の話になっていた

今日は通院日でした。30分くらい話していました。母親も診察室の中に入ってもらいました。私の第一声が「血液検査したいです。」だったので、採血しました。大きな病院なら普通患者が採血室まで行くのですが、ここのクリックでは私服の看護師さんが診察室まで来てくれます。血液を3本取りました。クリニックの職員は全員ラフな私服です。医師もドクターコートを着ていません。病院っぽさが少ないのがこのクリニックの特徴だと思います。

「肝臓と腎臓大丈夫なのかなと思って検査したいんです。」と言ったら、看護師さんが「そうですよね。それは心配ですよね。」と言いながら手際良くやってくれました。主治医は「身体の健康を気にするのは良い傾向ですね。」と言っていました。結果は次回だと思います。

過去の日記にも書いたように、現主治医とは6月からのお付き合いです。只今休診中の本当の主治医とは約10年の付き合いなので、心理的距離感が近く、例えるならば「良き兄」といった感じの心理的距離感です。10年をかけて本音で語り合える信頼関係をお互い努力しながら築いてきました(と私は思っています)。「お互い努力しながら」とは、お互いに転移・逆転移に翻弄されない冷静さを努力して保つとか、私であれば主治医のプライベートに入り込む質問をしないように努力するとかです。そういう幾多の努力を二人で積み上げての10年、信頼関係なのです。私と主治医は共に成長してきたと私は思っています。出逢った頃の主治医は34歳。経験も少なく、未熟な若いひょろひょろした医師でした。それが今は44歳で、(退職したけど)大きな病院の診療部長にまでなりました。私というと、24歳の時は結構大変な患者というか、ボダの残り香がプンプンする扱いづらい患者で、主治医にしんどい思いをさせたと思います。でも今となってはボダっぽさの欠片もないフツーの人になりました。

私は主治医の前の病院からお世話になっている最古参の患者でした。私は毎回、自分の分析をした内容の手紙を持参し、フロイトがフリースに送る如く何年も集中して自己分析を行いました。その結果ボダ気質からだんだん遠退いていけたと思います。そして、それとは別に、精神医療に求められるものとは何か、精神科医にはこういう時このようにしてほしい、患者の視点・医者の視点のズレ、等の内容の手紙も書き続けました。それに対して「あなたはいつもいろんなことを教えてくれるね」と言われたことがあります。主治医への感謝の手紙もたくさん書きました。私はツンデレだから、絶対話し言葉で感謝を伝えません。なんなら、主治医を“先生”と呼んだこともありません。いつも「あなたは○○についてどう思いますか?」のように、アナタ呼ばわりです。でも私は主治医を深く尊敬しています。真面目で誠実な人柄で、だからこそ遠い県外からでも通おうと思えたのです。

主治医はうつ病になってしまって休診中です。精神科専門医として、自身がうつ病になってしまうのは自己コントロール力の無さかもしれません。そういう意味では二流かもしれない。でも、真面目で誠実が故にうつ病になるというのは、人間としてのまともさの現れのような気がします。

私は医師として二流でも人間としてまともだから、これからもこの人に着いていきたいと思います。

私がここまで(ボダ気質が)良くなったのは、自分と向き合う作業をするという自力と、主治医の正しい支えという他力の相乗効果だと思います。決して一人では成し得ることは出来なかった。

境界性パーソナリティ障害(ボーダーライン)は治癒が可能な病気であることを広く知ってもらいたいです。ただし、図書館の内科学の中の精神医学の棚の本を右から左まで全部読むくらいの努力は必要ですが。金剛出版や星和書店、医学書院、日本評論社などの本をとにかく読んでいきました。

ボーダーラインは自殺さえ防げれば予後良好な病気です。生きてさえいればなんとかなります。

みんな、死ぬな。生き延びろ。

そうしたら道は開けてくる。

境界性パーソナリティ障害を克服したと言えるくらい、なんの面白味もないフツーの人になってしまった私より。今はただの双極性障害と薬物依存症に悩む患者なだけです。

日記を書いてたのに、話がどんどんズレて行きました。まぁいいや(笑)

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